古くから城

ベルジョイオーゾ城は、パヴィーアから東へ12km入ったベルジョイオーゾの町にある史跡です。

今では風光明媚な史跡として、ウェディングから企業のパーティーまで、パブリックとプライベートのさまざまなイベントの会場としてご利用いただいています。ガレアッツォ2世・ヴィスコンティの命によって14世紀後半、ヴィスコンティ家が有していた広大な領地に建てられたと考えられています。

「ジョイオーゾ」(「喜ばしい」の意)という名前は、この美しい景観を表して付けられました。
ここには、ミラノ公のジャン・ガレアッツォがしばしば滞在しました。実際、この城をこよなく愛したジャン・ガレアッツォは、1393年12月22日にしたためた手紙で、シカやその他の動物の狩りを禁じ、ベレグアルド-ヴィジェーヴァノやアッビアテグラッソに至るヴィスコンティ家の領地全体に狩猟禁止を定めたほどでした。

5世紀

城の母屋は1412年に破壊され、ジャン・ガレアッツォとカテリーナの間に生まれた息子ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティの死後に再建されたと伝えられています。
そして1431年に、ジョヴァンニ・マリーアの息子、フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティが、アルベリコ・ダ・バルビアーノにこの「砦」を明け渡しました。
当時、この町はむしろ大きな司祭館のある場所として知られていましたが、後に町の名がバルビアーノの家名に追加され、バルビアーノ・ディ・ベルジョイオーゾとなったのです。
バルビアーノの伯爵:クーニオとバルビアーノの伯爵を長年にわたって務めた一族(ダンテの『神曲』煉獄編の第2冠に登場する)は、11世紀のロマーニャで名声と権力を手にしました。

一族で最も有名なのは、明らかにアルベリコ・ダ・バルビアーノです。
ローマ教皇グレゴリウス11世に仕える傭兵隊長ジョン・ホークウッドの下で戦い、1377年のチェゼーナの大虐殺にも関与しました。
その後、富と権力を手に入れ、800人の槍騎兵から成る独自の隊を結成し、コンパニーア・ディ・サンジョルジョとして知られました。
そして、ロンバルディアのベルナボ・ヴィスコンティと兵力を統合したのです。

17~18~19世紀

1600年代のスペイン統治下の貴族の生活は、贅沢から崩壊へ、そして暴力へと変遷し、ベルジョイオーゾの公爵も時代の流れを免れることはできませんでした。
しかも1630年のペスト大流行を受けて、領土と領民に未曾有の辛苦が訪れました。

1700年代になると、アルベリコ王子が領土を治めるようになり、城には陽気で華やかな生活が戻りました。
18世紀中、ベルジョイオーゾ城は大幅に再建され拡大されました。

ドン・アントニオ・バルビアーノは、壮麗な門を増築し、広大な庭園と温室をも含む城内のほぼあらゆるところに装飾を施しました。
そして1769年には、神聖ローマ帝国とベルジョイオーゾの王子に任命されます。

ALBERICO XII

その息子のアルベリコ7世は、才覚に溢れ、芸術を愛する人物でした。

建築家レオポルド・ポラックの指揮の下で開発に着手し、近くの湿地を干拓して、学校を建設しました。
貴族社会に身を置きながらも、決して飲み込まれることはなく、
フランス革命とその後の共和政府には反対の立場を取りました。

晩年はあまり人と交わらず、時折訪れる詩人のジュゼッペ・パリーニやウーゴ・フォスコロとの時間を楽しむ以外は静かな暮らしを送りました。

その後は長男が王位を継承してサンコロンバーノ城を居所とし、分家がベルジョイオーゾの領地と伯爵の称号を譲り受けました。

現在

1978年、ある投資家グループが、この城のほぼすべての部分とネオクラシカル様式の庭園全体を買い取りました。
この最初の投資は、城の歴史を最もよく表した部分の修復に重点を置き、また城を一般公開するために進められました。

そのプロジェクトを管理するため、1985年、城の所有者と文化団体であるベルジョイオーゾ城芸術文化センターの間で協約が交わされました。
1992年3月、パヴィーア県が公開に向けた最終承認書を発行し、

それから数年後、城のさまざまな文化遺産の国家的な価値を重んじた文化センターは、ロンバルディア州とパヴィーア県からの支援を受けて、Ente Fiera dei Castelli di Belgioioso e Sartiranaを創設しました

Ente Fieraは、今や展示会や美術イベントの企画で30年の経験を有し、年間600件以上の出展者と8万人以上のビジターを集めています。

これから

城の西翼にあるバロック様式とネオクラシカル様式のファサードを修復したことで、ここで開催されるイベントや展示スペースのビジター用アクセスが完成しました。今後は、ネオクラシカル様式の庭園と大門の修復に着手してオリジナルの栄華を蘇らせる一方、21世紀の学術会議やパーティーを開催するための準備も進めていく計画です。

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